PROJECT STORIES

JR横浜タワー

日本有数の「みなとまち」横浜に
ふさわしい景観の創出を実現。

横浜駅西口開発ビル計画は、2009年に横浜市が制定した横浜駅周辺の大改造計画「エキサイトよこはま22」の先陣を切るプロジェクトとしてスタートした。本計画は都市再生特別措置法に基づく都市再生特別地区として容積率や高さの制限緩和を受けており、開発の中心となるJR横浜タワーは地下3階〜10階までの商業ゾーンと12階〜26階までのオフィスゾーンからなる。また、隣接する「JR横浜鶴屋町ビル」は、駐車場に加え商業施設、ホテル、スポーツ施設が複合されている。国際都市としての歴史を有する横浜。その玄関口である横浜駅の新たな時代に向けた「顔づくり」が始まった。

PROJECT TEAM

写真左から井苅、山本、萱原

井苅 大和HIROKAZU IGARI
元商業設計本部 商業第2部門(現在出向中)
2008年入社
生活に欠かせない駅の設計を始め、オフィス、商業施設、文化施設など多岐にわたる設計に携わりたいと入社。当プロジェクトではおもにビル全体の施設計画とオフィスの意匠設計などを担当。
山本 歓KAN YAMAMOTO
商業設計本部 商業第2部門
2013年入社
公共貢献できる建築の設計に魅力を感じてJRE設計に転職。JR横浜タワーのプロジェクトには2013年から携わり、全体のコンセプトづくりから意匠設計などを担当。
萱原 明彦AKIHIKO KAYAHARA
エンジニアリング設計本部 電気部門
2014年入社
JR東日本グループとしての安定感や東京駅を始めとする駅や駅ビルの仕事に感銘を受け、JRE設計に転職。電気部門においておもに商業ビルの電気設備設計を担当。

※掲載内容は取材当時のものです

CHAPTER01

駅に浮かぶ
「大きな船」をつくる

これまでの横浜駅は、JRを含めた6路線が乗り入れている交通拠点ではあるものの、街の顔としてのイメージがほとんどないのが実情だった。「横浜らしさ」をつくり出すためにはどうしたらいいか?議論の末に導き出されたキーワードが「みなとまち」である。商業施設の意匠設計を担当した山本は、「みなとまち」から連想されるモチーフとして「ゲート」「帆」「船」を取り上げ、これらを抽象化・素材化して建築デザインに取り入れることを試みた。「個人的には基本設計段階から“大きな船をつくる”というコンセプトを決めていました。駅前広場の大屋根もウェーブ状になるので、見上げると波間に浮かぶ客船に見えるというものです」(山本)。こうして基本となるコンセプトが決定し、クライアントや行政と協議しながらJR横浜タワーの内外観などの設計に取り組んでいった。

CHAPTER02

線路に覆いかぶせることで実現した
開放的な空間

主要ターミナル駅を再開発する場合の課題は、敷地面積が限られていることだ。一方で、収益を高めるにはそれなりの床面積が必要となる。今回のプロジェクトでは、手狭な駅前広場と線路に挟まれた細長い敷地のポテンシャルをどのように最大化するかが重要な鍵となった。そこで、タワーの約1/3をJRの線路に覆いかぶせるように張り出させることで、建築面積を拡張することにした。「そのためには、構造上のテクニカルな部分の設計と安全の確保が必要不可欠でした。特に電車を常時走らせながら線路に近い場所で行う建築には、JRE設計の長年培ってきた強みが活かされています」(山本)。これにより平面の面積が確保されただけではなく、JR横浜タワーの「顔」ともいえるアトリウムに浮かべた天然木の舟底状のファサードデザインを、駅前広場側だけでなく線路側にも展開することができた。

CHAPTER03

JRE設計に求められる
関係者との協議や調整

新たな駅ビルを建てるには、駅を含めた周辺施設との接続や工事期間中の旅客流動の確保など様々な課題を解決する必要がある。設計・監理を担当した井苅は、発注者であるJR東日本、入居する駅ビル会社、シネマ会社、オフィス事業者、周辺施設の事業者など、数多くの関係者と調整を行いながら一つひとつ図面に反映していった。「例えば、隣の建物と通路でつなげるためには、事業者同士が合意した上で予見される課題を共有・整理し、一緒に工事しなければなりません。それが、駅ビル開発の難しさです。そこでプロジェクトメンバーで各事業者の相談窓口を分担し、課題解決に向けた調整を行うと共に、メンバー間で課題を共有して全体としての解決策を調整しました。特に事業者との打ち合わせでは分かりやすい解決策に進みがちですが、プロジェクトの最終形を見据えて関係者全員が同じ方向に進めるよう最善策を講じました」(井苅)

CHAPTER04

地震や津波などから
人々を守る拠点として

横浜駅は、災害が発生した際の防災拠点としての役割が求められており、災害時に帰宅困難者を受け入れる施設として機能するための電気インフラはとても重要なものとなる。建物全体と商業エリアにおける電気設備の設計を担当したのが萱原だ。「東急線や相鉄ジョイナスなど、接続する施設の協議先だけでも5つあり、それぞれの状況も施工できる時期も異なります。また、災害発生時には横浜市の災害対策室を設置できるようになっており、システム構築など複雑で難しい協議が続きました。ほかにも、商業施設のテナントなどとも並行して協議を進めなければなりません。工事との進捗を合わせて進めるため時間的な制約のある中、手戻りを極力減らすよう関係各所とコミュニケーションを密にし、その情報を施工者にすぐに共有して迅速に問題点の解決にあたる必要がありました」(萱原)

CHAPTER05

横浜の国際競争力を高める
新たな街の顔

2020年6月、横浜駅は大きく生まれ変わった。大きな船の量塊が浮かぶガラス張りのアトリウム空間(ターミナルコア)は、駅前広場に面してそびえ立つ高さ60mの壁面の圧迫感を軽減しつつ、同時に印象的な街のシンボルとなった。また、周辺施設との交通結節機能のほか、上層階への導線、街のラウンジ、イベントスペース、災害時の帰宅困難者用スペースなど高次の機能を受け持っている。ほかにも海と鉄道など横浜が一望できる屋上のうみそらデッキ、光によって波の揺らぎを表した外観のライトアップなど、観光スポットとして各メディアにも取り上げられた。「工期は4年以上で現場職員の労働時間は延べ約400万時間以上。これだけの規模になると関係者が多くて調整は難航しますが、川上から川下の現場も含んだ全員が一緒になってものをつくる醍醐味がありましたね」(山本)。横浜駅は、世界との架け橋となるべく新たな街の顔となり、新しい時代に向けて力強く漕ぎ出した。

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